ものづくりの 「づ」は「ず」ではない
桑原です
空感考房 ご愛顧いただき お客様に感謝
僕らを支えてくれてる 協力企業(どちらかというと強力くらいの感じ)の皆様に感謝
保険のプロの皆様のご協力にも感謝
金融機関(銀行さん)の担当者の皆様にも感謝
いきなりですが、自分を産んで育ててくれた両親に感謝
プライベートの話
今年のお盆前に大阪実家の父が病で亡くなりました
僕の誕生日でした
まだ、大丈夫と思っていたので、病の急変に・・・・・
そこからは、葬儀、生前にお世話になった方へのお礼ご報告、母の今後の暮らし、妹の近くへの引越
遺族年金の手続き、実家の手続き・・・・大阪と長崎の距離が・・・大変でした
まだ、することが たくさん残ってます 銀行の手続き・実家の荷物処分の手配等々・・
広島の墓への納骨は年を越しそうです
最近やっと 少しづつ 普段の生活リズムにもどってきつつあります
そんな時、父の電話での会話をフッと思い出します
関西弁で「まいど!元気か!」僕のことを名前ではなく「お兄ちゃん」と呼んでいた父の元気な声です
大阪の父の部屋から持ってきました「ノギス」という「ものさし」です
「ザ・昭和世代」の父は 帰りも毎晩遅く・休みは日曜のみ(祝日は仕事)
亭主関白で家事は一切できない?しない? 行儀にはやかましく、
晩酌を毎日する(この時の、説教話につかまると大変でした)
「酒さえ飲まなきゃ いい人なんだけどな・・・」と子供の時からずっと思ってました
こんな 父から遺伝的に引き継いだもの・・「ものづくりに対する好奇心」です
父の会社は大型工作機械の部品メーカーでいわゆる「鉄などの金属を加工する町工場」
いわゆる「工業系」で、、指の爪先はいつも黒かった、、作業服に機械油がつく お仕事でした
私はこの「建築系」 業界は違えど・・・
ものづくりの 大変さ、面白さ、創意工夫、「知恵をしぼる」「頭で汗をかく」ことが好きです。
多分・・・遺伝です
父は、こぶしの大きさくらいの(金属のかたまり)「インゴット」を持ち帰り 真剣なまなざしで
それにマジックやら鉛筆などで、なにか書き込み 図面見て削り出す???イメージトレーニング的な
ことをしてました。(そのとき、写真のノギスをつかって)
父のみせた真剣なまなざしを、息子の僕がみてると、その視線に、父は気づき、ニコッと笑い
わからいない専門用語で手順や大変さを熱く語ってくれたことを思い出します・・・
父にはもう会えませんが・・フッと その笑顔や声のトーンなどを思い出すことで・・・
今の仕事で、ものづくりの大変だけれども・・どこか、それを楽しんでる自分がいるのも感じます・・
私の下の名前は「一友」と書き「かづとも」です。「かずとも」ではないのです
育ててくれた 両親に感謝 です